不安に慣れるのと麻痺するのとはどう違うのか

先日、ある本の著者との対談記事で、こういう質疑応答があった。

僕もかなり臆病な方だから、この学生の気持ちは分かる。

学生A:『サードドア』には失敗を恐れて動けなくなる「フリンチ」という現象が書かれています。僕は、失敗するたびにフリンチがひどくなります。

それに対する本の著者の回答がこうだった。

バナヤン:フリンチは、何か大変なことを感じて、ひるんでしまう感情のことですね。あらゆる成功者が、初期の段階で感じているものです。そうした恐れや不安は消えるものではなく、人生においてつねに感じるものだと考えてください。不安にならないこと、それを消し去ることは目標にはならないのです。不安がある状態に慣れること。そして、不安に飲み込まれないようにすることが重要です。それは筋力トレーニングをやるようなものです。最初は5kgのものからはじめて、10kg、30kgと徐々により重いものを持ち上げていきますよね。不安も同じです。少しずつ耐性をつけていく。効果はすぐには表れませんが、トレーニングを続けることで、いつしかあなたも「どうやって不安を克服しているんですか?」と質問される立場になっているでしょう。

この人は不安を消すことは目標ではないと言っている。

不安に慣れることが大切だと言っている。

不安を禁じ得ないタイプの人間には、不安を消すよりは現実的な対処法に見える。

しかし、不安に慣れることなど可能なのだろうかという疑問も湧く。

殴打される痛みに慣れるということがないように、不安という苦しみに慣れるということはあるのだろうか。

あるとしたらそれは単に麻痺したというだけではないだろうかと思う。

僕はもう、世の中への同調圧力のせいで、本心を表したり、純粋に喜びを感じる心が麻痺しつつある。

そのようななか、不安を感じる心も麻痺させたら、あまり機械と違いなくなる。

不安に慣れるということは、麻痺とは違うのか、慣れるための方法はあるのか、ということをこの著者に聞いてみたい。

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