意に反して死んだ人に対して恥ずかしくない生き方をできているか。

サッカー選手の長谷部誠が書いた「心を整える」を読んだ。もう10年ぐらい前に発売されて話題になった本だ。タイトルの付け方が絶妙で、心が乱れに乱れている僕には、読むべき本の一つとして思い出された。

結論から言うと、読み物として非常に面白い。もちろん心を整える方法も参考になるけれど、それは何も特別なものではなく、いろいろな自己啓発本で語られている。それを実行できている長谷部はもちろんすごい。

ただこの本の面白みはそのような自己啓発要素というよりは、サッカー選手の生活や日本代表の裏話的なところがより大きい。サッカー選手の交友関係や普段の会話が興味深い。また、試合中や日本代表での知られざるエピソードも読んでいて面白い。

という感じなので、心を整える方法で参考になったという箇所はそれほど多くはない。その中で、この本を読んで絶対に覚えておかなくてはならない部分があるとしたら、この、おじいさんがなくなったときの心境をつづった一節だと思う。

数日後、レッズの練習場で自主トレをしているとき、母親からの電話が鳴った。「おじいちゃんが危ない」僕は新幹線に飛び乗り、藤枝を目指した。せめて最後にお別れを伝えたい。ありがとうと言いたい。このときばかりは新幹線が遅く感じられてイライラした。まだ車内にいるとき、再び母親から着信があった。出なくても内容は分かった。藤枝に着くと、すでにじいちゃんは病院から実家に移されていた。。。それから僕は、じいちゃんがいつ見ていても恥ずかしくないような人間になろうと思った。

特にこの最後の引用箇所の、「いつ見ていても恥ずかしくないような人間になろう」という部分だろう。

僕はもうどうしようもない根性無しで、社会で生きていく能力も高くない。自己肯定感が低いし、社会に提供できる価値は他人と比較して著しく少ない。なのに生きている。

一方では、不測の事故や災害で命を落とした人、若くして死んだ人など、本来は生きて価値を提供できた人たちがたくさんいる。

そういう人たちに対して恥ずかしくない生き方とは何か、それをよく考えて生きなくてはならないと思う。

それは自己憐憫に陥っていじけている人間でも、自分の能力不足に腹を立ててヤケを起こしている人間でもない。

生きて、なんらかの価値を生み出そうとする姿勢だったり、せめて周囲の人には親切や喜びを与えられること。また、理不尽があっても、ものごとに誠実に対処していく態度。

恥ずかしくない生き方とは、僕にとってはこういうことになる。

それは、本当はいつも意識していなくてはならないのに、ほとんどの時間で忘れている。この本をきっかけに思い出すことができたので、これがこの本を読んだ最大の意義と言える。これは本当に毎日思い出して生きていかなくてはならない。

そして、これも当然のことのように語られているけれど、長谷部はこうも書いている。

後付になってしまうけれど、パラグアイ戦のPK戦のとき、僕がすぐに立ち上がったのは、みんなで全力を出してやった結果なのだから、どんなラストが待っていようと悔いはないと捉えていたのかもしれない。

今できる最善の努力をして、あとは神様に任せるしかない。


スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク